護身道は、身を護る道である。
これまでの武道の達人たちも、みんなこういうことを言葉では言ってきた。
無心になれとか、剣の道は相手に勝つことではなく自分の身を護ることだといったことは、古来からの武道の本にも書いてある。
しかしその力学は、スピードなり、力量なりで相手の攻撃力を避けたり、はねかえしたり、押しつぶしたりして、こちらの力で相手に致命的打撃を与えるという原理で成り立っている。
だから常に試合が成り立ち、数百年に渉って武道試合の歴史が展開され、剣豪の伝説がつくりあげられてきている。
これまでの武道は、まず第一に自分の筋肉力を、相手より早く、強く動けるようにすることが修行の根本になってくる。
だから試合となると、強い方が勝って、弱い方が負ける。
ということは、強い者は身が護れるが、弱い方は身が護れないということである。
それを極限まですすめると、世界選手権大会で優勝した者だけが身を護れ、あとの者は全部身が護れないということである。
優勝した者も、もっと強い者が出てくると負けて、身が護れないということになる。
だから不断に鍛錬して、負けないように身をけずる苦心をしなければならぬ。
つまり、いつも身が護れなくなるという不安の中に一生をすごさねばならなくなる。
年をとってくると体は弱ってきて、若い時のような筋肉力がなくなるのが天地自然の道理だから、年と共にこの不安は増してくるわけである。
こういう武道の原理では、いくら身を護ることが根本だと口では言っても、実際にはずっと不安の人生をおくらねばならなくなる。
護身道は、これまでのあらゆる武道に共通した力学の原理とはまったく反対の、異なった力学の原理によって成り立っている。
人間は、自分の力で、ちゃんと外からの攻撃から身を護ることができる。
これが護身道の原理である。
世の中には強い者は少数で、弱い者が大部分である。
少数の強い者だけが身を護れ多数の弱い者は身が護れないような武道では困る。
どんなに弱くても、どんなに強い者から攻撃されても、攻撃してきた強い者が倒れて、弱い者は安全に自分の身が護れる
という力学の原理が存在するだろうか。それは存在するのである。
この存在を証明したのが護身道である。
護身道の練習には、老人も若人も、男も女も平等に対等に参加し、区別をつけないでできる。
もちろん体重の区別もしなくてもよい。
90kgの男が30kgの女に攻撃をかけると、ちゃんと90kgの方がダウンするようになっている。
それが実現される力学原理なのである。
護身道では、女性も男性に対し、筋肉力の差というハンデを取り払って、ちゃんと対応でき、身が護れるのである。
練習も、男女交り合って何の差別もなしにできるのである。
護身道の練習は、型からも入るが、ちゃんと乱取りの練習になる。
型だけで終わるのではないから、興味も湧く。
しかし運動量は、柔道、剣道、空手のように汗びっしょりになるようなことはなく、ほんのりと汗ばむ程度である。
なぜなら、護身道には丁々発止の打ち合いや返し合いはない。
一発で終わりである。
相手との関係をまとめてみれば次の三つになる。
1、相手がこちらを殺そうとして攻撃をかけてくれば、相手が死ぬ。
2、相手がこちらにケガをさせようとすれば、相手がケガをする。
3、相手がこちらに何もしないのなら、仲良く分かれる。
護身道を身につけておけば、必ずこの三ヶ条の結果になる。
実際の場合で、殺してしまう必要がなければ、少し力を減らして、相手が短時間動けないようにし、その間に相手との距離をとってしまえばよいのである。
こうすればいつでも自分の身はちゃんと護れる。
だから、身を護る道 として 護身道 というのである。
〜城野宏論文集より〜 |
copyright©2013 all rights reserved.